短歌に一時的にハマってみた特別編②~QuizKnockの日後夜祭~

という訳で、また特別編です。

はい。

すみません。

#10月2日はQuizKnockの日

先日、10月2日は『QuizKnockの日』である。

一般的によく知られるYouTube……では無く、Webメディア・QuizKnockとして初めて記事が投稿された日が10月2日だからだ。

ちなみに日本記念日協会に、記念日として正式に登録されてるのだから凄い。

という訳で、10月2日当日は色々な企画でSNS上は盛り上がっていた。

自分がこの記事を書いてる10月3日には、大規模なリアルイベントが東京某所で開催されている筈だ。

地方住みママである自分は、ブログを書きつつ安定の在宅勢である。まぁ、こういう形での応援も良いじゃないか。どの道、推しに会いたいタイプのオタクでは無い。

兎も角、QuizKnock初めての記事が公開されてから今年は10年目に当たる訳だが、10年前の10月2日、自分は何をしていたんでしょうね?

丁度、車校とか行ってた頃かな?

(余談だが自分は生年月日と身長等の基本プロフィールが山本祥彰氏に近い。その為つい親しみの目で見てしまう。)

という訳でまずはこちらドーン。

10周年記念の自作お祝いイラストだ。

自分はデジタルの時に大変筆が遅い為、元々は周年記念イラストにするつもりでは無かったのを、丁度頑張れば10月2日に間に合わせられそうだと急遽、周年イラストとして仕上げたという裏話がある。

だから、衣装が周年と関係の無いオリジナル衣装なのである。

顔はデフォルメ風に処理しておきながら、手は比較的しっかり描き込んでいる所が個人的なポイントだ。その点をしっかり見て頂けたなら冥利に尽きる。

個人のお祝いとしてのファンアートであれば、このイラストだけで充分だったであろう。

しかし、家事をしたり仕事に行ったり、配信を見たりクイズを解いたりして一日を過ごした後。寝る瞬間にふと言葉が降りてきてしまったのだから仕方が無い。

という訳で本稿の主役であるこの一首は、10月2日を過ぎ10月3日に差し掛かった深夜0時過ぎに完成し、Twitterに投稿したものだ。

そんな訳でここから本題である。

楽しいから始まる学び

  • 「分かった!」と「分からない、何故?」を繰り返す 我々こそがフィロソフィアなり

画像はいつも通りSS名刺メーカーさんで作成している。

その為、画像についてはSS名刺メーカーさんでご用意がある物から選んでいるのだが、当然早稲田式早押しボタンのような都合の良い画像は無く。

地球儀の画像が良いか、紙とペンの画像が良いか、はたまたパソコンの画像か。

悩んだ結果、旧約聖書では“知恵の実”としてのイメージがあり、ニュートンの万有引力の発見のエピソードでお馴染みとなっているリンゴの画像をチョイスした。

カラーリングもQuizKnockらしく、良いチョイスではなかろうかと我ながら思っている。

永遠に生きるかの様に学べ。

寝る直前に降りてきた言葉というのは、結句の「フィロソフィアなり」の部分だ。

“フィロソフィア”とは本来、「哲学」という意味の単語であるが、元になった“フィロソフィー”には「知を愛す」という意味がある。

ここで言う“知を愛する者”とは、QuizKnockの演者やスタッフだけを指してはいない。

自分を含む、QuizKnockのコンテンツを楽しみながら、学ぶこと、クイズや謎を解くことを楽しむ我々視聴者もひっくるめて、“知を愛す者”と短歌では表現した。

では、“知を愛す者”とはどんな者なのだろうか。

上の句の約17文字を考えるにあたり、自分は布団の中で悩んだ。

知を愛す者という謳い文句に相応しい人物とは、どんな要項を満たす者なのだろうか。

高学歴である必要は無いと思う。

クイズが強くある必要も無いと思う。

ただ、自分自身にまだ未知の万象があるという事実を自覚し、学ぶ姿勢を忘れない者。そしてその一連の過程を楽しめる者こそが。

“知を愛す者”たる資格が有るのではないだろうか。

QuizKnockと関わる前からそうであった者。

QuizKnockと出会ってからそうなった者。

両者合わせてQuizKnockに関わる者は皆、“フィロソフィア”と称することに不足は無いのでは無いかと思う。

何故、勉強しなければいけないの?

学ぶということは須らく喜ばしいことであると思う。

難関大学に進まなきゃ意味が無いとか、テストで100点を取らなければ意味が無いとか、そう考える人も少なからずいるだろうが、自分自身はそうは思わない。

他者──特に大人たちに評価されることは少ないかもしれないが、新しい英単語を一つ覚えるだとか。国名を新しく一つ覚えるだとか。計算ドリルを独力で1ページ終わらせるだとか。

それだけでも尊い成長だと思う。

しかし、現実には勉強を苦痛に感じてしまう人だってまだまだ居る。

「何のために勉強するの?」

「勉強が将来、何の役に立つの?」

QuizKnockに出会った頃の自分は、教職では無いものの中高生から「先生」と呼ばれる様な仕事をしており、そういった疑問を投げかけられる機会が職務上多かった。

勉強に真面目に取り組む児童も居はしたものの、しかし仕事上で接する彼らは、知能指数が平均よりもやや低めであったり、能力に凹凸があったりして、勉強に苦手意識を持っている子も少なくなかった。

学ぶことは喜ばしいことではあるけれど。

どうしても、能力や環境的に誰しも楽しんで学べるとは限らないんだよな。

自分個人は、その点能力的には恵まれていた。

両親共に高卒で地方の田舎の出身なので、あまり勉強については煩く言われたことは無く、ハングリーに受験戦争に取り組んだという経験も無かったけれど。

1996年生まれなのに、親から「女の子は無理に大学行かなくてええんじゃない?」って言われてたし。

ホンマに私は平成生まれか?

その分勉強についてのトラウマも持たず、成人した今も自分の興味の有る分野に関して知識を深めることを楽しむ習慣を持てている。

環境的に恵まれていたんだか、恵まれていなかったんだか。

そうして今度は未成年を導く立場に置かれた私は、彼らに向き合いながら『勉強は何の役に立つのか』ずっと考えていた。

西尾維新の小説『美少年椅子』では、その問に対して実に美しい答えが用意されていた。

「それはね、あなたの役に立つんだよ。」

美しい。模範解答と言って良い。

フィクションの中で最も好きな格言の一つだ。

しかし、現在進行形で勉強に苦しんでいる少年少女に対してはあまりにも綺麗事過ぎる。

どう表現すれば届くだろうか。

本稿では割愛するが、当時自分なりに沢山の答えを用意していた。

だって、勉強はして方が良いと思うから。

しかし、“楽しい”に勝る理屈は終ぞ見つからなかった。

スタッフも含めたQuizKnockのメンバーを見てると、実に勉強をすることを楽しんでいることが分かる。

クイズ王達は、決して全知全能では無い。

各人、得意不得意は有るし、勘違いすることも有る。

しりとりで「ん」が最後につく単語を言ってしまうことも有るし。

山本オープンすることも有る。

それでも彼らは成長し続け、偉業を成し遂げ続け、知的好奇心を媒介に人々の輪を広げ続けている。

そんな彼らに憧れ、その姿勢を追い続けることを楽しんでいるのが我々視聴者だ。

我々こそが“知を愛す者”だ。

これからもQuizKnockが末永く続き、QuizKnockの輪が大きくなりますように。

そしていつか、勉強が嫌いなあの子たちにもその輪が届いたら良いな。

学習により、何か偉業を成すことだけで無く。

学習による、小さな成長だけでも充分価値のあることだと。

彼らには身をもって知って欲しい。

そしてそれは、大人になってからでも決して遅くは無い。

どうか、QuizKnockさん頑張ってください(他力本願?)(笑)。

そして、11年目の年も変わらず応援させてくださいね。

健康には尚一層気をつけて。

QuizKnockの主要メンバーとは同世代の自分は、体が少しガタつき始めていますので。

今日の所は体を労りながら、本日(10月3日)のパーティーの皆様の感想を楽しもうと思う。

一読感謝!(2026.10.3)

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